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性処理玩具 淫女
俗に言う主従関係ではない  私は奴隷ではない  彼は私を導かない  そして私は従わない  ただ彼の思うままに使われる性処理玩具  それはどこまでも理不尽なアンフェアな関係  つけられた名前は淫女 ※文章の無断転記お断りします。


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愛と肉欲
2007-05-07 Mon 01:44
愛と信頼関係。。。
よく耳にする。
人によってそれぞれ、愛の捉え方も信頼の捉え方も違うんだろう。。
性癖や嗜好がいろいろ人それぞれ違うように、感情の捉え方も様々なのだろうと思う。。
チャットで黒澤との関係性を問われ、答えに困る事がよくある。
その人たちは私に「黒澤さんを愛しているんですね~」と言う。
こう聞かれると本当に困る。。
「そうじゃないんですよ」
そういうと相手には理解できない。。

皆、愛のあるところに愛に満たされて過ごしているからだろうか。。。

私の肉欲は愛というもののあるところには存在しなかった。
私はその中で自分の存在価値を見出せず、与えられたら与えられるほど飢えた。。
愛が無くてもパートナーを探し、初めて逢った人に体を預けてきた。
そこには愛など無く、あるのは自分のMとしての飢えを満たしたいと言う、単純な肉欲だけだった。。
性的な嗜好を満たすために動く私は愛のないところでそれを求めた。
愛ではない。。欲しいのは愛情ではない。
諦め切れなかった。。
なくても人として生きていける性的嗜好。。
でも、諦めの悪い私は諦め切れなかった。
愛を求めて彷徨ったのではなく、挙句の果てには愛など要らないから飢えを満たして欲しい。。とまで思った。。。
私の考える愛は性的な嗜好と同じところに存在しない。
求めるものの違い。同じ空間で見出せないもの。次元の違うもの。。

信頼関係もよく理解できていない。
それが無ければ駄目なのだろうか?
相手に逢い抱かれる。。SとMとして性行為をする。
その時点でクリアされているものだと思う。。
それ以上でも以下でもなく。
黒澤は私の命を奪わない。
私の日常を奪わない。
その二つだけが揺るがないこと。。それを信頼と呼ぶのなら、ほとんどの人は守れることだろう。。。

私は神様を崇拝してはいないのだけれど、神様の存在を否定はしない。
愛も信頼関係も考え方は人それぞれ。。愛も信頼関係も否定しない。
ただ。。
私のような変な女も存在する。。。
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